※この記事は以前noteのマガジン「丸裸のアイ」にあげた記事を一部修正・加筆したうえで転載しています。
日本のバレンタインと言えば、いろいろなお店が赤やピンクで飾りつけして、店頭にはチョコが並び出して、冬のイルミネーションの残骸も残っていることから、どことなく浮き足立ってる雰囲気がありますよね。
特に学生なんかは、
女子:好きな男子にどんなチョコをあげようか?どうやってチョコを渡そうか?
男子:今年は何個チョコがもらえるのだろうか?本命チョコはあるのだろうか?
なーんてこと考えてるんじゃないでしょうか。
私も高校生までバレンタインの時期はソワソワして、当時の彼氏のために手作りチョコなんて作ってみたりもしました。社会人になってからも、当時の彼氏と付き合い出して1〜2年目くらいまではワクワクした記憶があります。
でも結婚すると、不思議なことにバレンタインでワクワクしなくなるんですよ。何というか、世間が騒いでるだけで「私には関係ない」みたいに感じるわけです。
ワクワクしないけど一応夫だしチョコあげとくか
夫には毎年チョコをせがまれ、とりあえず好きで結婚した人ですし、毎年チョコを贈っていたわけです。
そもそも私は花束が欲しい
日本のバレンタインは女性から男性にチョコを贈る習慣があり、そのお返しとして3月14日にホワイトデーと称して男性から女性にプレゼントを贈ります。いやぁ、日本のマーケティングってお上手。
でも本家は海外であり、恋人同士でプレゼントを贈り合うのが常識。愛する人にチョコでもお菓子でも小物でも、何でも良いので愛の証としてプレゼントをあげます。
特に男性から女性に花束を贈るところが多く、バレンタイン前日や当日は花束を抱えた男性をよく見かけるそうです。
私は思いました。
なぜ、女性から先にチョコを贈らねばならぬのだ。なぜ、男性からのプレゼントは1ヶ月後なのだ。そしてなぜ、「お返し」なんてことになるのだ。
「もらったからお返しあげる」なんて、愛し合う者同士の間にはいらないのではないでしょうか?お互いに好きだからプレゼントを贈り合ってれば良いんでないの?
私は夫にチョコをあげるのが嫌なのではなく、そのお返しに不満があるわけでもなく、そもそも私はチョコをあげたのと同じ日に花束をもらいたいわけなのです。
「バレンタイン」というイベントは好きなのですが、お前のそういう風習は、好きじゃない。
2019年、凍りのバレンタイン
2019年、今年もバレンタインがやってきました。私は花束が欲しいと思いながらも夫のチョコを選別する季節です。
夫は食いしん坊で甘いものが好きなので、できるだけ大容量でそれなりの良いものを選んだつもりでした。
チョコを見た夫は喜んでくれて「じょさにはやらんからな!」と冗談も言っていました。はしゃぎながら包装紙を破る夫を見て、私も「花束は欲しいけど、まぁいいか」と心穏やかに………
おだやかに………
穏やかになったのもつかの間、チョコを食べた夫はこんなたわ言を発したのです。
「このチョコ、好きじゃない」
場の空気が凍りました。つい本音を口にした夫の瞳に、後悔の色が出たのを私は見逃しません。そして取り繕うかのようにこう言いました。
「食べられないわけじゃないよ」
「じょさも一緒に食べよう?」
先ほど「やらんからな!」と言っていた威勢はどこへ行ったのでしょう。私にチョコを勧めてきます。
私はというと、その場ではそんなに怒りが湧いてきません。いくら甘いものが好きだからと言っても、ちょっと良いものを選んだからと言っても、結果的には夫が好まない味のチョコをあげてしまったんです。
ただただ「あぁ、まさかの失敗」という自分に対するガッカリな感情を抱いていました。
でも、でもね?
お前のそういう無神経なとこ、私も好きじゃないんや。
私の中では
・夫が好きじゃない味のチョコを見抜けずあげてしまったことに対する罪悪感
・夫の無神経な発言に対して後からじわじわ湧いてきた怒り
この2つが戦ってました。
この件はどちらが悪いということではありません。私は選別が甘かったことを猛省してるし、つい夫の口から本音が出たことも、夫は私に対して「悪いな」と思ってるはず。
私をちょっといじけさせてしまった夫には、ささやかな復讐として「好きじゃない味のバレンタインチョコを食べ切ること」をミッションにしてやろうと思います。
こんなんだったら…こんなんだったら…
レトルトカレーでもあげてればよかった。